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5月10日、由良町白崎海洋公園にてダイビングライセンスの初歩クラス「Cカード」の講習を受講いたしました。 以前から興味があり、和歌山の海のよさを体感したいという思いから、今回取得を決意いたしました。 ※「Cカード」は海洋ダイビング免許ともいえ、取得すれば水深18メートル以内なら世界のどこの海でも潜ることができます。 ▲インストラクターから説明を受ける (2003/05/11付日高新報より) |
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国土交通省政務官室からは皇居周辺の桜がながめられる。 天気のよい日など、優しい桜色が眼にまぶしい。 しかし、役所にいる限りくつろいでいるわけには行かない。三月は特に多忙であった。羽田空港管制のシステムダウンなど「事件」が起こるかと思えば、委員会答弁、予算箇所付けに、雑誌の取材。あげくにイラク戦争ときた。 花粉症で鼻をぐずぐず言わせながら、ますますいらいらが募ってくる。 容赦なく振りかかってくる用務に押しつぶされそうになりながら、窓の桜を眺める毎日である。 そんな中、ある国際会議に出張する機会があった。 京都などで開催された世界水フォーラム。 国土交通省が「満を持して」主催した国際会議である。世界の水は環境汚染の危険があるだけで無く、絶対量も足りない。 案外知られていないが、"水の国"日本も一人当たりの飲料水は世界的に見て決して多いほうではない。 会議では用意周到にこうした世界の今後の「水」にかかわる高密度の議論を重ね、その結果を閣僚宣言に取りまとめた。 次回予定開催国であったカナダは日本の開催振りを見て、とてもあれほどの準備はできないと開催予定を辞退するというほど海外からは良好な評価を得た。 担当部局の皆さんの努力には頭の下がる思いである。 ただ、不幸なことに日本では新聞等で取り上げられることも少なかった。 裏番組はイラク開戦。 おかげでフランスはシラク大統領が来日を取りやめ、イランは会議の途中で帰国。 イラク周辺諸国は何とか議論を戦争に結びつけたがるかと思えば、キャンセルしたけれど、どうやら戦争は順調に進みそうなので、今関西空港に着きましたと、突然予定を変更して連絡してきた国もいる。 しかし、個人的にはとても思うことが多かった。 日本はあいもかわらず、技術の国、金を出してくれる国であるとしか見ていない国が多いということ。 言い換えれば、ここらで日本はどういう世界の秩序を目指しているか、基本的な哲学を示さねば今後世界会議を主催してもあまり意味がないのではないのかということ。 しかし、国内議論がまとまらぬ今のままでは世界には何ものをも示せないではないかということである。 言うまでもなく今、日本の国づくりは「迷走」している。 銀行や市町村合併の例にあるように国民の生命身体財産を守るためと称して、多くの規制(指導)をかけたが、全ての面倒は見きれないということになって、急に十分な情報も与えられないままに自由にやりなさいと「規制緩和」される。 地方の再生を説くかと思えば、大都市には渋滞緩和のための大深度地下道を作る。 シートベルトで身の危険を守るよう義務付けながら、体に危険だとわかっているタバコは禁止しない国なのである。 つまり、日本の政策はあるひとつの哲学に沿って作られてはいないのである。 私はこれではある日突然日本が世界をリードすることはないと思う。 国は経済で滅びはしない。 いつの時代も外交で滅びるという。 だとすれば、このことは看過できる問題ではない。 世界をリードする国でありたい。世界に尊敬される国でありたい、とうたう憲法を持 つ私たち日本人は、太古の時代から桜が好きである。 そんな私たちがすばらしい自然の中で生きることに何らかの価値を見出す時代がすぐそこに来ている。 そんな中、自然あふれる和歌山県が低迷させるような国に「水」を語る資格は今の日本にはないというのは我田引「水」か。 先人の努力を「水」の泡にしてはならない。 窓の桜を見ながらつくづくそんなことを思った。 2003/04/08 和歌山新報「がんばってます」掲載
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補正予算が国会を通過した。 和歌山県はわが国土交通省関連では補助率全国四位になっている。 前年度が29位であるから大躍進である。関係各位のご努力に改めて感謝したい。 ただこのような"ハード"行政のうらでひそかに私が力を入れていることがある。 それは日本版リバースモーゲージの確立である。 ご存知のとおり、日本人は高度経済成長時代から、自らの資産を増やすことに豊かさの価値を置いてきた。 いつかはガレージつきの家に。 庭付きの家に。 ところが夢をかなえた世代が直面したのは生産世代の年金では高齢者世代を支えきれないという現実。 将来は先細るであろうと言われるわずかな年金をたよりに、子供たちと別居しているお年よりが広々とした家にさびしく住んでいる。 このような事態を前にして私は年金給付とあわせてこの資産を担保にした、現金給付の仕組みづくりを提案しているのである。 私は厚生労働委員として長らく厚生行政に関ってきた。 ある日厚生労働省の幹部の一人に時間をくれと言われ、新橋の居酒屋で延々5時間にも及ぶ議論をしたことがある。 あなたのような若い世代にこそ、年金に対する危機感がなくてはならない。 近い将来に有効な手立てを打たないとこの国は傾いてしまうと熱弁を振るったふたまわりも年上の年金局長の目は真剣そのものであった。 年金は好むと好まざるとにかかわらず積み立て型を移入せざるをえない、しかしそれが具体化するまでは年金受給者の持つ資産を何とか活用して年金の破綻を避ける仕組みをつくれないものか。 私は爾来、リバースモーゲージの「鬼」になった。 そうしたある日、国土交通省の政務官を拝命することになった。チャンス到来。 早速住宅局の皆さんに協力を得て、検討会を作った。 厚生労働省の所管事項に国土交通省がくちばしを入れる。 大変な困難が予想されたが、これからはあなた方が主役になって日本の明日を作っていくんだと檄を飛ばした。 しかし、いくつかの問題が浮かび上がった。 まず、中古住宅を担保にして現金収入を得るにも、わが国では中古住宅の価値が著しく低いため資産形成にかかったコストを考えると、とても売り出す人はいないだろうということである。何たることか。 日本では土地を売りに出すときでも中古住宅がついていると資産価値が下がるという。 リフォームのきかない個性的な住宅が多い上、取り壊しに費用がかかるからである。 アメリカ映画などでよく見かけるが、欧米人は壁や屋根の色を塗り替えたりして個性を発揮するが柱と屋根だけは何十年も使い続けられているのとは対照的である。 まず、取り壊す必要のない汎用性のある家を作らねばならない。 そしてその「立派さ」をきっちりと評価する中古住宅市場なるものをつくっていかねばならない。 人生のステップアップとともに住宅も変わっていく社会。百年住宅の建設。 でもこれでは年金行政の破綻に間にあわないと思っていた折、売りに出せなくても貸したいと思う人はいるはずです、と何度目かの検討会で発言するものがいた。 すぐ検討、現在法案作成の準備段階に入っている。 とりあえず、高齢者所有の住宅の賃貸をしやすくするスキームを作ることから始めている。(その後、一部新聞にも報道されてしまったが)中古住宅の評価基準の設定やら、中古住宅市場の創設に向けての関係者協議。いまだ道半ば。 本稿でまとまった報告ができる日が必ず来ることを信じている。 2003/02/25 和歌山新報「がんばってます」掲載 |
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「総花的でメリハリが無いじゃない。」国土交通省の会議室に扇大臣の声が響く。 補正予算の概算要求を策定する省議。役所が提出する案を見てのことである。 「もっと国民にわかりやすく、今年の予算でこんなことが実現したといえるぐらいに思い切ったものに。」 副大臣、私たち政務官がそれぞれ続く。 政治の側からの思わぬ反応に、役所の幹部は少し複雑な顔をしている。 どうすればその要望にこたえられるか。残されたわずかな時間でどれだけのことができるのか。 暗澹たる気持ちで誰かが言った。各部局でこれこそは緊急というものを出してきてくれ。 しかしそこからだった。役所の超えられない壁を思ったのは。 各局の局長がそれぞれに予算案を抱えて出てきている。この場で発言しないのは自らの部局の存在意義にかかわる。私は最初の発言者がいないことを願った。 しかし、新米の政務官などの思いとはうらはらに、ある局長がとうとうと重要性を述べる。 それからは堰を切ったように思い思いの部局が発言を始めた。 私はこういう場で発言をしないことをよしとするタイプではない。しかし、おそらく各部局がそれぞれの予算を積み上げていく段階で、もう少し融通しあいながら案を練っていくことはできなかったものか。 今日本にとって喫緊の重要案件が何か。数々の部課に精通する局長は知り尽くしているはずである。 それでもあえて発言する。いやせねばならない。自らの局のために。そして省のために。 私はこれからの予算編成はもう少し政治主導ですすめていいと思う。たとえば、予算の何分の一かは常に大臣の方針に従って組むことを財務当局とも認めていく。 あるいは縦割りと呼ばれる部局が硬直的にならないように常に局の組み替えをする。 時にはアメリカのように省の組み換えがあってもいい。 各局間の人事はもっと流動化させる。部局の組み替えも人事も、ほとんどを省自らが行っている現状では、到底「おもいきった」予算など組めることはない。 現在でも大臣折衝なるものが存在するが、ほんの儀礼的な程度のものである。 翻って、永田町。主導者たるその政治は健全か。 午前一時に新聞記者からの電話がかかる。聞くとわが党首が離党し自民党へ行くという。党首がやめてとうしゅる。ありえないことです。 しかしまたまた政界の離合集散ですね、数あわせと翌日のテレビが嘲笑気味に取り上げているのをみて少々腹がたたないでもないが、事実無根であると大声でさけんだとしても意味はない。 マスコミに貶められる政治、信頼なき政治に主導を握らせることに不安を覚える役所。役所の硬直した統治に苦しめられる国民が、政治をまた貶める。 真の構造改革が訪れるのはこの負の連鎖をたちきったときではなかろうか。 いよいよ年の瀬である。この季節になると、世間は華やいだムードだが、霞ヶ関の役所街は夜遅くまで連日のようにあかあかと電気がともり、朝の三時四時の帰宅は当たり前。役人にとってもっとも忙しい日々が強いられる。 彼らの努力が評価されるもされないも、政治の責任は重い。政治家のはしくれとして、そして国民の一人として、今年も反省の一年である。 2002/12/17 和歌山新報「がんばってます」掲載 |
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このたび国土交通大臣政務官を拝命した。 先般の政治改革のなかで、政治家が行政を主導しなければならないという趣旨で、大臣の下に副大臣とともに設けられたポストである。 旧政務次官に当たるが、より活発に大臣のリーダーシップを補佐するという役割である。 国土交通省の大臣はご存知、扇千景。 いつも「かわいがって」くださっている党の先輩というだけでなく、直接の上司に当たる事に。 不安と期待の入り混じった気持ちで初登庁。 多くの幹部職員の歓迎を受けて大臣室横の政務官室、そして庁舎最上階の大会議室へ。 少々気恥ずかしいが、職員の前で訓示をたれるのである。 国土交通省といえば、外局を合わせると職員は六万人以上、局長だけでも数十人はいるマンモス官庁である。 その津々浦々に省内放送として新政務官のことばが流れます、と秘書官がさらりと説明するが、かわいい部下をいやみなやつめと思ったのはこちらに自信が無いからか。 でも私は政務官としては若い。飛びぬけて若い。 調べてみるとどうやら史上一番目か二番目の若さらしい。 そのはなたれ小僧が、居並ぶ大先輩の前で行政について多少の抱負を述べるのである。 少しは気のきいたこともいわなきゃならんのに、と自分をかばいつつ会場へ。中には幹部職員につれられてか、省内にいる学生時代の同級生なんかも冷やかし半分で見に来ている顔が見える。 「私は間違えても自分の能力を恃むつもりはない。しかし、若輩だからこそ見える大きな時代の流れもある。国家のグランドデザインが今こそ問われているときは無く、百年後の日本を見据えた政策をこれからもやっていくつもりである。」という趣旨の挨拶をしたかと思う。 同級生が手を振ってくれていたのはありがたかったが、(あとで聞いてみると彼は上司にひどく怒られたそうで、宮仕えのつらさをおもいやった)果たしてどこまで真剣に聞いてくれていたか。 でも秘書官いわく、「国家百年のグランドデザインを省内で考えるプロジェクトチームを立ち上げています。挨拶を聞いて政務官にも是非参加していただけないかと打診があります」と聞いたときは、役所もすてたもんじゃ無いなと安心した。 利権、汚職、天下り。 役所といえばとかく悪いイメージが先行するが、なかで働く大多数の職員は、国家のために誇りをもって真剣に働いているのだ。 もっと政治家が役所を信頼し、役所が政治家と信頼関係を築かないと、政治のリーダーシップはありえないと思った。 先日も「昼食はなんにしますか?」と聞く秘書官に、「職員食堂でラーメンを」というと、「食堂へいかれると職員が驚きます。ましてやラーメン、ですか・・・」といわれたときはこっちが驚いた。 政治家はいつも料亭かなんかでご馳走を食べているイメージがあるというのである。 これまで政治家が役所に対してどんな付き合いをしてきたのかはしらないが、これが和歌山方式なんだ、と無理やり説き伏せて弁当片手の勉強会を企画させもした。 私は言う、世間の考えは踏襲しないでほしい。公共事業ひとつとってみても、経済効率ばかりを持ち出す昨今の考え方に大いに疑問を感じてほしい、と。 たとえば過疎の村に新宿の摩天楼を一棟建てたとする。するとその村のかかえるほとんどの問題が解決する。 一階は役場。二階は病院。三階は学校。四階以上は居住区などとして、すべての村民を住まわせる。下水も完備、冷暖房も完備、長い電線を引いてくる必要だって無い。経済効率はまさに二重丸。でも、これがナンセンスなことはだれだってわかるはず。 ところが、東京にすべてを集中させようとする昨今の考え方は、これを国家的規模で行おうとしているといっても過言ではない。 こうした違和感を多くの人が感じていながら何もいえない。こうして落とし穴にはまっていく。 そのときは原点に返る。公共事業の目的とは。人の幸せとは、豊かさとは。そして人生とは。 もっと遠くを見つめて、過去をにらんで、今何が必要かを考えてほしいと。 若輩政務官、がんばろうじゃないか。人に言い、自分に言い聞かせる毎日である。 2002/11/05 和歌山新報「がんばってます」掲載 |
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私は絵をかくことが苦手である。 正確にいうと描いたものを誰にもほめてもらったことがない。 情け容赦のない親などは指さして笑いものにしてくれたことさえある。 その私がこのたび絵をかいたことで賞をいただいた。その名は芸術議員連盟奨励賞。 まあ、早いはなし内輪の展覧会でこれからも世間の批評にめげることなく絵をかき続けなさいよという趣旨でもらったような賞である。 しかし、私は賞をくれた審査員のこうした術中に見事にはまってしまった。 大変にうれしいのである。題名は熊野古道。 先日もある週刊誌などが取り上げてくれたりしたので愚作がお目を汚した被害者もいるかもしれないが、本人はいたってまじめに描いたつもりである。 和歌山全県を馬車馬のように毎週毎週走り回る。 それがかなわぬこととわかっていてもああここでゆっくりできたらなあと思うことは一度や二度ではない。 熊野灘に沈む真っ赤な夕日。堂々として物言わぬ山並み。わが県にはたしかに癒しのなにかが存在する。 これらのものに心うごかされ感動のあまり絵筆をとった、などという格好のいいことをいうつもりはないが、今回はどうしても書かねばならない事情ができた。 日中友好三十周年記念の行事として、双国で展覧会をすることになったのである。 主催は私が事務局長を務める芸術議員連盟。 中曽根元総理や海部元総理が役員を務める由緒正しい(では由緒正しくない議連とはどういうものかと突っ込まれそうだが)議連だ。 事務局長が苦手ですから、とうそぶいていては誰も出品してくれない。こんなに下手でも出せるんですよ。とカラオケのトップバッターを引き受けるようなつもりで出品することにした。 しかし、やってみると重大な誤算があった。時間が無いのである。 毎日早朝から党の勉強会。法案の説明のために役所の方々が事務所へ入れ替わりいらっしゃる。 委員会や本会議や法案の素案作りになる与党三党の協議会。 平日の日中はほぼ手いっぱいである。 週末は地元秘書さんたちがてぐすね引いてまってくれている。 しかし深更自宅へかえって家内の冷やかしに耐えながらおちついて絵をかくことなど到底できない。 仕方がないから、細切れの時間をつないで議員会館をアトリエにせざるを得なかった。指やらズボンやらに絵の具をつけて突然の来客に応対しながら、つくづく芸術は余裕が無いとできないものと思い知った。 しかし、こうしたゲリラ的制作もやってみると今はえらそうに語ってみたくなる。 今日本は先進国のなかでもっとも自殺者数が多く、年間三万人もの命が奪われているという。 世界一の長寿国を作りながら幸せを実感できない。当たり前のことだが、幸せは他人が強制するものではなく、人それぞれであってよいはずである。 しかし、ステレオタイプの幸せを求め続けた日本人は、あるべき人生から外れたとき絶望に打ちひしがれる。そもそもあるべき人生などないはずなのに、幻想を抱か せた社会や教育を恨むことすら知らずに、多くの人が人生を終える。 私は公の意識の無い社会は滅びると思う。 しかし一方で自由の無い社会もやがては破綻すると考えている。自由と自己責任。 してはならないことのルールをはっきりさせ、その裏にはどんな価値観も認め合う鷹揚さを持った社会が、これからのわれわれが目指すべき社会ではないか。 この意味では人生の楽しみを自分の力で味わえるはずの中高年に元気が無いのは、ちょっと気がかりである。余裕が無いというのは私のような場合にはともかく(そういってはいけないのだが)、社会としてはあってはならないのである。 熊野は魂のふるさと。その熊野を描きながら、そんなことを考えて一生の趣味にできたらと思う。 中国でもし私の絵を見てくださる方がいたら、声高らかに宣伝をしたいと思っている。本物を見にきてください。癒しの世界遺産へと。 ただしその後は二度と私の絵をみてはいけませんよ。熊野に悪いから。 2002/09/25 和歌山新報「がんばってます」掲載 |
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143国会が終わって出演したあるテレビ番組で、この国会の総括をしろというので返答に窮した。 緑の雇用事業に象徴される林業の振興、東南海、南海大地震対策基本法の制定などでは私にも多少の貢献をさせていただいたとの自負はあるつもりであるが、マスコミが注目しているものばかりではない。 瞬間的に、番組ディレクターが喜びそうな返答を探していた自分が情けなかったのである。 しかし強弁させていただくなら、殆どの議員は同じジレンマを抱えていることと思う。国会議員がマスコミを意識することは、必ずしも悪いことばかりではないが、明日の朝刊に乗ることを本分と考えてはならないはずである。 国会質問で「週刊誌にこんなことが書いてあったが、本当か」などとでる。 国会議員の国勢調査権はどこへいったのか。 私はこれまで50回を超える質問を行ってきた。はじめのころ、満足の行く原稿ができたらもしかして明日の朝刊にでも取り上げてくれるかしら、とにんまりしていたものであるが、あまりにばかげたことにエネルギーを使っていたものであると最近は反省している。 ただ看過できないのは、多くの議員がこのジレンマに(誘惑にまけて?)まけて明日の朝刊に「のせる」質問を作っているという事実である。 野党議員の中には、いまだにマスコミが喜ぶからとせっせとスキャンダル探しに明け暮れているものもいる。 確かにスキャンダルはあってはならないしそのような人を指導者として国会へ送ることには疑問を感じる。しかし、本当に必要なのは政治家をスキャンダルで追い落とすことではなく、いかにしてそのような政治家をうまないシステムをつくるかの議論なのである。 国民だって、ちゃんと議論してくれているか知りたいに違いない。 未来永劫とはいわないまでも、安定した政治システムを作るためにはどうすればよいかを議論する場が国会なのである。 前国会私は個人情報保護法の与党三党策定プロジェクトチームのメンバーとなって追われるような日々が続いた。 当然そこではマスコミの反発がおおいに予想されたが、「今の政治はあまりにマスコミにおもね過ぎるのではないか。個人情報は本人のものであり、国のものでもマスコミのものでもないはず」であるとの本来の趣旨から、マスコミは異常な特別扱いをすべきではない、と私はあえて主張した。 ただより襟を正すべきは官であり、行政機関が持つ個人情報が漏洩された場合はとくに厳罰に処する条項を入れるよう主張もした。 結局、こうした主張は取り入れられず、その後、まもなく防衛庁のリストが漏洩していることが発覚して、個人情報保護法に反対するマスコミの格好の餌食にされたのはご案内のとおりである。 政治が理想を語り、マスコミがそれを批評する。 こうした民主主義のあたりまえの姿が、今の日本ではぼやけたものになっていると感じるのは私だけではないはずである。 私は先日、通貨統合したばかりのEUを視察する機会を得た。 ヨーロッパの統合という理想を現実のものとしようとしている実情をみて、何より感動したのはかの国々でのマスコミの態度である。 断っておくが、私はいわゆる西洋至上主義者でも民主主義万能主義者でもない。 しかし、日本での論調は壮大な実験と賞賛しながらもまだ道険し、現実のものには程遠い、という評価が一般である。 統合に向けさまざまな活動があることを中立公正に報道する姿には学ぶところもあるのではないか。 ローマが繁栄したのも、多民族への寛容という、当時言葉ではわかっていても現実のものになしえなかった理想を実践したからという事実を、誰よりもわかっているのではないか。 理想なくして何が政治か。目標なくして何が指導者か。 これまで目標としてきた豊かさを享受し、これからの日本が新しい価値観、哲学を持ってあたらねばならない今日にあって、「面白い」議論だけではこの困難な時局を乗り越えられることはできない。 理想と現実を埋める作業こそが政治の本質である、というのが私の持論だが、理想が何たるかを忘れてしまった中では政治は存在しない。 マキコ伝、ムネオ伝ではこの国の未来は開けないのである。 朝刊を意識して何が悪い。 本当に注目に値する議論をしない国会議員にこそ、資質の問題があるという議論は一部当たっているかもしれない。 しかし、議論というのは当の本人はともかくとして、本来面白いものではない。 反動であまりに期待はずれの役割しか持たない政治という部門に失望しているだけではなにも始まらないと思う。 わが国は政治に期待するものが多すぎるのかもしれない。マスコミと政治の関係は先進国すべてに共通する大命題である。 与党議員として反省を込めて空っぽ国会でしたと答えたら、出演者のすべてが同じような答えをしていたのにはおどろいた。 国民の税金で運営する国会が、内容無く終わるものであることは本来認められるべきものではないが、それを与野党の代表国会議員がすべて反省しているという異常事態なのである。 国会での質問にしても、マスコミが喜ぶから一部国会議員はそんな議論をしたがるということである。 2002/08/14 和歌山新報「がんばってます」掲載 |
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禁煙議員連盟(綿貫民輔会長)というものが立ち上がった。 なぜか私が役員の一人になっている。 所属する党が小さいので、「名前だけ」というのはこれまでもあったが、今度のは「行動する議連」を目指している(小宮山洋子事務局長)とのことで結構忙しそうだ。 しかし何よりとまどっているのは私自身が喫煙者であること。 はじめから資格がないから、とお断りしていたが、どうやら事務所スタッフの仕業らしい。 この際、本人にやめさせよう、と日程の調整等、ことのほか熱心だったそうだ。 もっとも、喫煙者といっても、私の場合はお酒をのんだりすると、少し(たっぷりの時も少々あるが)たしなむ程度。 2兆3000億円もの税収が旧国鉄の精算や、国有林野事業に使われていることを考えると、国会議員として少しは寄与しなければ、と免罪符もあった。 しかし、医療制度改革がかまびすしい今日この頃。 国を挙げてふくらむ医療費に歯止めをかけなければと丁々発止の議論をしている会議の場でぷかぷかと煙があがるのは妙な気がしてきた。 たしかに厚生労働省の試算によると、たばこによる超過死亡者(たばこをすわなければ死亡しなかったかもしれない人)は9万5000人(95年)。 それに伴う超過医療費は一兆2000億円なのだという。 いわずもがな、自ら棺桶に歩いて入っていくような亡くなりかたがもっとも医療費は少なくてすむ。本人も回りもハッピーなわけだ。 たばこの値段も海外からみて少し安すぎるらしい。世界で日本についで安いといわれるアメリカでは購買力平価でならしても、だいたい380円前後。 ヨーロッパではだいたい400円から800円前後だという。 こうなってくるとますますたばことの関係を考えたくなる。喫煙派の私がはいって、健康被害だけを勉強するだけでなく、どうすれば禁煙できるかをトレーニングする場にしてほしいものだ。 毎年、たばこ組合の方々と年末になると懇談をするのが楽しみな私。 来年は来てくれるかな。 まずはゆっくり一服しながら考えようかね。 |