
| 2006年11月26日 | |
IIC和歌山県連セミナー講演 「歴史教育についての認識を深めよう」 | |
| 皆さん、改めましてこんにちは。今日はIICの県連のセミナー、こういう機会を与えていただきましたことを感謝申し上げたいと思います。 今ご紹介をいただきましたとおり、私ももうかれこれ前回の選挙、IICの皆さんに大変なお世話になりまして、ご推薦をいただきまして当選をさせていただきましてから2年がたちます。その6年前に初当選でありますから、政治家としてはもう8年間、どっちかというと中堅どころに入ってきたのかなという人間で、今仕事をさせていただいております。 先ほどご紹介をいただきましたとおり、国交省の政務官をやらせていただきました。しかも、それも2年間連続でやらせていただきましたから、多少国土交通行政には言いたいことも、それから知識も経験も一応あるつもりではありますけれども、今日はそれとは全く別の話で、歴史教育について少しお時間をいただければと思います。 これは、IICのほうからテーマをいただいたということもありますけれども、私としても、ぜひともこれは国会議員として、政治家としてお話をせねばならんことがたくさんあるなと常々思っておったテーマでありますから、少し耳を汚すかもしれませんが、おつき合いいただければなと思います。 さっきご紹介をいただきました経歴の中に、どうしてもこれだけちょっと加えておいていただきたいなと思ったことが、実を言うとございまして、国交省の政務官をやらせていただいた後、国対の副委員長と同時に、自民党の水産部会長というのをやらせてもらっているんです。今は厚生労働の委員長というのは、これは現在の役職でありますが、私がここで言いたいのは、自民党の水産部会の部会長、結局これは何をするところかといいますと、党の役職でありますから公職ではございません。しかし事実上、政権与党の水産関連の行政をほぼ取り仕切るような形、立法府の側から取り仕切るような形のものでありましたから、大変にやりがいがあったし、また和歌山県にとってはご存じのとおり、水産行政、これからいろいろなことでまた未来に向けて頑張っていかなきゃいかん。ちょっと話はわきにそれますが、実を言うと、水産って今、和歌山は大変なんです。大体漁師さんの年収は平均すると200万円を切っています。170万とか、180万、これで一家4人で暮らせなんて、これはなかなかしんどい。また、各漁業の数、漁業協同組合の数、お隣の三重県は全県で一つになるぐらい、もうスリム化が図られているんですけれども、和歌山県はまだおくれていまして、40幾つ残っているんです。こういうことも、和歌山県の立ちおくれた水産行政にはこれから大変な問題になる。そういう意味で、水産部会の部会長というのは私にとっては非常に気のはけるというか、気合いを入れてやらせていただいた1年間でありました。 なぜこの自己紹介をぜひしてほしいと申し上げたかというと、今からするお話に少しかかわりがあるからであります。水産部会の部会長というのは、日本の全体の水産を考えるつかさでありますから、特に外国との水産にかかわる話が多いんです。皆さんご存じのとおり、今はマグロなんかでも問題になっているのをご存じでしょうか。メバチマグロ、それからキハダマグロ、クロマグロ、ホンマグロともいいますけれども、ご存じのとおり、和歌山県はマグロ水産、マグロの県であります。勝浦、マグロの県なんて言うんですけれども、あの勝浦等々有名な、全国にも名立たるマグロの県でありますが、そういうマグロなんかも今全世界的にはずっと抑制がかけられていまして、今もちょっととり過ぎているということが言われているんです。そういう国際交渉をしていかなければならない時代にあって、水産業界全体が今日本でとられ過ぎている魚の種類をもう一回洗い直そうと言っている矢先であります。 よくよく振り返ってみますと、日本の水産で最も高漁場と言われているのはどこかというと、実は日本海なんです。日本海から大体オホーツク海にかけてのこのかいわい。そしてまた、ちょっと南太平洋の海外の一部であります。ここの日本海に、実は大きな異変が横たわっております。何か。竹島なんです。水産を語る者にとって、竹島を語らない者はえせ水産関係者でありまして、これは実は大変な問題になっております。 竹島というのは日本と韓国との間で領土問題があるのは、皆さんご存じだろうと思います。日本海の中間に、ちょうど中間線地域の付近に横並ぶ小さな島でありますが、日本は歴史的にこの島を日本の領土だと主張してまいりました。私も実を言うと、東大の法学部でありましたから、国際法なんかも習いました。法学部の教授が力説して学生に教えておったのを覚えております。竹島は国際法上も我が国の領土であると。どれだけ相手がこれは自国の領土だと主張したところで、国際裁判をしてしまえばうちが勝つんだと。私もそれを信じている者の一人でありますけれども、あにはからんや、今現実には竹島は、事実上隣の韓国の支配下にあります。 とはいえ、ここは国際裁判にかければ日本が勝つ地域なんだから、韓国の皆さん、そう言わずに、実効支配をしているのは構わないけれども、ここはやはりあなた方の領有する地域ではないんだから、領有してしまうと、その地域周辺海域は韓国の海域になりますから、さっきも言いましたとおり、竹島というのは日本と韓国の中間線にありますから、その中間線よりもこっち側に韓国の、日本側寄りに韓国の海域が増えてしまう結果にありますので、そうはならんということで、小渕総理の時代に暫定水域というものをつくったんです。 竹島周辺の暫定水域というのはどれぐらいの広さがあるか。地図で見ましたら、ものすごい数なんです。竹島海域から大体周辺50海里程度でありまして、日本海全体で言うと、地図の大きさから見る限り、3分の1、4分の1というぐらいの大きさになるかもしれません。そのかいわいはずっと暫定水域なんです。 暫定水域というのはどういう水域か。日本と韓国がそれぞれどちらも自主操業してもいいですよ。どっちも入会で漁業をやっていいですよという水域を設定したわけです。領土問題を棚上げにしていきましょうと。これから未来の子孫に解決をゆだねましょうということであります。現実問題、今どうなっているか。話が長くなりますから、結論から申し上げます。竹島は実効支配がされ、そこに軍艦がいるんです。その軍艦をもって、これは嫌がらせというわけじゃないんですけれども、その軍艦が大きな船がどんどん暫定水域を通るものですから、日本の漁船はあまり通れません。嫌がらせをされることも、実を言うとございます。これは事実でありますから、はっきり申し上げておきます。島根県かいわいの漁船が暫定水域に行きます。そうすると、韓国側の漁船から嫌がらせを受け、網、漁網なんかもわざと切りとられたりなんていうことも、実を言うと事件として続発しておりまして、島根あるいは鳥取の漁業の皆さんは、実を言うと、韓国暫定水域には今はもう操業していない状態でございました。これが今日韓問題で、大変な問題、あつれきを生んでおるんです。皆さんも、鳥取、島根の地域から韓国のあの水域へ、大陸棚調査と称して海上保安庁の船が行こうとしたことを、日韓の緊張があったニュースをごらんになられた、ご記憶にある方もいらっしゃると思いますが、あれは日本の外務省の事務次官が向こうの韓国へ行きまして、ようやくとりなして事なきを得ましたけれども、まだまだこの問題は解決をしておりませんから、これから我々の世代と言ってはなんですけれども、皆さんと一緒に手と手を携えて、日韓問題のこの問題は解決をしていかなければいけない大問題だということなんです。 歴史認識と言われるとなぜ竹島問題が出てくるか。これは韓国だからであります。また、中国だからであります。竹島が、これが韓国の領土だと彼らが主張する理由は何か。歴史の認識の問題であります。また、日本が竹島を領土だと主張するのはなぜか。これは歴史の認識の問題であります。2つの国の歴史認識が違えばこういう問題が起きるんだということの一番典型的な例だと思いましたから、少々お時間をいただいてお話をさせていただきましたけれども、私がきょうお話をするのは、特定の二国間の問題についてお話をするつもりはありません。こういう機会ですから、歴史認識とは何ぞや。また、そのゆがんだゆがみというのはどういうことを指しているのか。またそれはどういう結果を生み、どうすればいいんだというようなお話を、実はきょうはここでお話をさせていただければなというふうに思うんです。 私は、歴史認識の問題というのは、まずは教育論の問題、教育の問題だと思います。認識は教育だというのは当たり前なんですけれども、皆さんもご案内のとおり、それぞれ世代によって、今は歴史の認識は違いますね。といっても、私の両親も昭和9年の生まれと昭和12年の生まれですから、戦前の生まれではあるんですが、実際上教育を受けたのは戦後であります。そして、戦後の実質論教育を受けたあたりから、やはりちょっとずつちょっとずつ変わってきています。私の世代になってみたら、完全な、どっぷりと浸かった戦後世代。このポスターにある安倍総理も、戦後初の戦後生まれの総理として今回は自民党総裁、日本の総理大臣になりました。 世代によって違う歴史認識というのは、これはどういうことが起こっているんだろうか。皆さんも考えられたことがありますか、これは当たり前の話でありますが、その時々によって、過去の振り返り方が違うわけであります。特にこの近現代に当たっては、それは一回30年周期だというふうに言われています。30年から40年の周期の間に、過去を振り返る振り返り方が違ってくる。 今、日本というのはどういう歴史認識にあるか。戦後の歴史観をもう一回見直そうという時期であります。なぜか。ご存じのとおり、戦前は皇統史観があったり、そのもう一つ前は日本の独自の文化にこだわっていた時代がありました。戦後すぐに占領政策があり、そして高度成長期の時代。これもまた、実を言うと戦争否定、あるいはその戦前否定に凝り固まったというよりも、もしかすると戦前の考え方を見ないようにしようと、戦前というものの教育を見ないようにしようというところがございました。 ところが現在、今どういうことになっているかといいますと、ちょっとずつ変わりつつあるなという感じであります。これは、いい、悪いは別ですよ。事実を申し上げております。それはどういうことかといいますと、大体戦後、終戦と同時にアメリカの公文書やヨーロッパの公文書というのは、50年間の封印というのを決めたわけであります。戦後50年、もう60年がたちました。その公文書がどんどん明らかになるにつれ、日本への占領政策がどういうものであったか、その裏の背景にどんな意図があったか等々のことが明らかにされてきたわけであります。これが今、歴史認識を変えていかなければいけないと思う大きなうねりの一つであります。 もう一つは、戦後認識はなぜ変えなきゃいけないときか、あるいは変わりつつあるかといいますと、ほんとうに日本の戦後教育はよかったんだろうか。先ほどのごあいさつにありましたとおり、日本の今の教育の中で、日本人というのものが、いじめであるとか、あるいは目を覆わんばかりの悲惨な事件を起こしてしまう。こういう日本人というのは、ほんとうに我々祖先から何千年と続いた我が日本の、日本人たるものの思いだったのか。そういう日本人を生むのが私たち日本人のアイデンティティーだったんだろうかというあたりから、教育、特に先祖から続く社会教育、歴史教育、こういうものをもう一回見直すべきなんじゃないかということから、戦後50年、60年たった今、教育そのもの、あるいは歴史観みたいなものを見直そうという動きになってきております。 歴史教育を見直そうというと、すぐに戦前あるいは戦争礼賛、あるいは戦前教育復活みたいなものをイメージする方もいらっしゃいますが、私は必ずしもそうではありませんし、少なくともそんなものが復活することはできれば阻止したいなという者の一人でありますから、そこのところは安心して聞いていただければと思います。特に、30年、40年の間に教育が変わりつつあるということだけ、そんなものだなということだけ、これは事実として気安く考えておいていただきたいなと。変化が起こる、何か怖いことが起こるというふうなものじゃなくて、どこの国でもそうなんです。30年から40年と言われていますけれども、そうやって教育観、あるいは歴史観というものは変わってくるんだということなんであります。 それを繰り返しながらずっと定着してきて初めて歴史というのは定まってくるんだということなんだろうと逆に、これは私が個人的に思っているんですけれども。ローマの歴史なんていうと、いろいろいまだに争われているようなこともあるそうでありますが、例えばユリウス・カエサル、シーザーってありますね。シーザーというのはどんな人だったか。これはいまだに争われているんだそうです。ほんとうにはたしてローマ時代の英雄だったのかどうか。単なる女たらしだったんじゃないかとか、いろいろ争われているんだそうでありますけれども、これも何百年、何千年もの歴史の中で、いろいろな歴史観が30年、40年のタームでいろいろな意見を言いながら、ああでもない、こうでもないと振り子のように振れて、今固まりつつあります。おそらくこの第二次世界大戦の歴史も、そんな振り子の中で固まっていくのではなかろうかというふうに思う。その歴史の流れの中に今私たちがいるんだということを私は考えたいと思います。 さっき、韓国の話をいたしました。歴史というと、何かすごく重い話のように思いますけれども、実を言うと、勉強せねばならんということではなくて、我々の身近にすぐあるものなんだということの事例を一つ紹介させていただきたいというふうに思います。竹島問題を聞いて、韓国というのはけしからん国だ、お隣の国はけしからん国だという印象を持たれる方も実をいうと多いんでありますけれども、もう一つ、この和歌山の我々にとっては考えていかなければいけない、知っておかなければいけない歴史も実を言うとございます。 それは、この和歌山に雑賀というのがありますね。雑賀衆、雑賀、小雑賀、雑賀という地名にも残っていますが、和歌山県は世に名立たる鉄砲隊の雑賀衆という鉄砲隊がいた地域でございます。雑賀の名前はもう全国にとどろいているだけではなく、実を言うと韓国でも検証が始まっております。これは、我々和歌山出身の国会議員、観光を通じてこのことは広げようということで、向こうの観光大臣やあるいは商工大臣、また、向こうのNHKですね、KBSというんですけれども、その関係者にも話をしたことから、日韓共同のドラマをつくろうかというところまで実はなっているんですが、どんな話か。もしご存じの方は、釈迦に説法でありますが、雑賀衆の鉄砲隊が、実を言うと、信長に弓を引いた。秀吉に滅ぼされて、恭順の意を示させるために、秀吉が朝鮮出兵に行く先兵隊として雑賀衆は行かされるんです。和歌山県の雑賀民族であります。朝鮮に渡った雑賀衆は、この戦争はおかしい、もちろん秀吉に対する恭順の意を示し切れなかった部分もあったんだろうと思いますが、この戦争はおかしい。秀吉軍というのは、朝鮮半島に行ってそこを植民地にしようという意識でありましたから、略奪、強奪、暴虐の限りを尽くすという、当時はあまり書かれていませんけれども、その秀吉を追っ払ったイン・ソンギルなんていうのは、もう向こうでは大英雄になるぐらいでありますから、相当なことをやったようであります。その戦争はやはりおかしいということで、雑賀の一族は、和歌山県の祖先ですよ、何と、韓国の人たちに、朝鮮半島の人たちに鉄砲を向けるんではなくて、後ろを振り返って、日本の兵隊に鉄砲を向けるわけであります。これをもって国賊と称する人もいるかもしれませんが、当時の考え方であれば国賊であったかもしれませんが、現代に至っては美談のうちの一つであります。侵略戦争を阻止したもの。阻止というか、おかしいと異を論じた者として、和歌山県の雑賀という名が挙がっております。 この雑賀衆というのは、韓国で植民することになりました。日本人初の、朝鮮半島へ渡った植民人であります。向こうではキムという称号が、ヤンバーといいまして、貴族の称号なんでありますが、キム何がしという、キム一族という名前をいただきまして、友鹿洞(ウロクドン)というところで雑賀衆は住み着くことになります。雑賀という名前が向こうではなまりまして、「沙也可(サヤカ)」という名前でその地名、あるいはその一族のことを通称しておるようであります。友鹿洞の沙也可といえば、雑賀衆の鉄砲隊、日本人ルーツの鉄砲隊であったというのは、その地域の人だったらだれでも知っているようなことであります。秀吉の時代ですから、もう400年以上前ですね。というようなぐらいの植民があった。 これが日韓にとっては非常に大きな意味を持つわけです。和歌山県からやってまいりました日本の国会議員の鶴保ですと言いますと、向こうの地域の人たち、友鹿洞というのは大邱(テグ)のちょっと北のほうでありますから、その大邱という大きな町があります。その市へ行きますと、「和歌山ですか」と。「私は日本は嫌いですけれども、和歌山というのには大恩があるんだ」と、こう言うわけです。そういうものなんですよ。歴史認識なんていうと、すごく大上段に振りかぶった教科書、あるいは政治家がテレビの前でしかめ面をしながらしゃべっているような印象がありますけれども、そうではありません。私たちの印象をがらっと変えてしまう、私たちの思いみたいものが歴史認識、それがゆがんでいるというふうに言うのはどういうことなのかということはまたお話をしなければいけませんが、ここではそういうものなんだということを、これは私も考えておりますし、皆さんもそういうふうに思っていただければ幸いだというふうに思います。 もう1個和歌山に、ついでですから簡単にお話をしておきますけれども、和歌山にはトルコという国と大変な関係があることもご存じだろうと思います。串本に昔、エルトゥールル号という大きな船が遭難をし、難破をしたときに、串本の島沖の小さな村の豪族の娘さんたちが献身的な介護をしたということで、トルコではいまだにエルトゥールル号の命を救ってくれたエルトゥールル号の子孫がまだ串本に時々やってきたりとか、友好関係を串本町と結んで、いろいろなことをイベントとしております。これも美談の一つでありますが、トルコと日本は直接いがみ合うこともなかったから特にいい関係が続いているわけですが、特にそのことは何かに付される話ではありませんけれども、日韓の竹島の話と、そしてさっきの雑賀の話、このトルコの話をぜひわかっていただきたいと思います。 ゆがみの話であります。何がゆがんでいたのかということでありますが、まず、ゆがみという前に、私たち日本人は一体何なんだろうか。また、なぜそれを知らなければいけないのかということをちょっとお話をしなければいけません。それをしなければ、そもそもこういう筋があって、それに対してこうゆがんでいるということが言えないからであります。また、その筋というのは決められたものではないんですけれども、私たちがほんとうは心のどこかで思っているみたいな筋みたいなことのはずであります。そのゆがみの話で、典型的な思い出が、実を言うとエピソードというか、私事で恐縮なんでありますが、一つございます。 実を言うと、私はイギリスで学生時代に約半年から1年、結局9カ月ぐらいだったんですけれども、留学とか言えるようなものではありませんでしたが、遊びにいってまいりました。ホームステイ先で、よくあちこちに引っ張り回されていろいろなことを英語で聞かれるんです。当時は片言の英語でありましたし、私にも話せることには限界があります。一番困ったことは、大相撲のことを聞かれたこと。それから、自衛隊って何かと聞かれたとき。セルフディフェンスフォースなんて英語がありますけれども、はっきり言うと、これは向こうには理解してもらえませんでした。それからもう一つ、あなたは何教ですかと。IICですと言ったってわからないかもしれません。しかし、そこまで言えたとしても、問題はそこからです。IICの教義は何ですかと。教義を英語でしゃべるんです。これは難しいですよ。セルフディフェンスフォースの話は何とかクリアしました。大相撲も身ぶり手ぶり、それこそボディーランゲージで、こうやってやるんだとやれば何とかできます。しかし、あなたは何教ですかと。ブディストだと。ブディストというのはどういう教義なんですか。あなたはどういうことを自分の背骨、人生の哲学、人生をいかに生くべきかなんて偉そうに言うつもりはないんですけれども、そういう禁律や訓律にしているんだと。イギリス人に聞かれるわけです。おまえらは一体何なんだと言われたら言い返したくなるんですけれども、彼らは紛れもなくプロテスタントの国、キリスト教でありますから、モーゼの十戒なんてことが昔から身にありまして、それのいい、悪いは別にして、向こうはきちっとそれを明示的に、この教義、この教義、こういう戒律、こういう訓律、こういうものに従って人生というものはあるんだ、あるいは生活というものはあるんだということを教えられている民族、国民であります。 私たち日本人は、いつのまにやら、何となくですけれども、そういうものを言えないというか、言わないというか、そういうものを感じるときがあるんです。昔から言わなかったのかな、言えなかったのかな、それとも、今戦後教育を受けた私だから言えないのか、大分悩みました。今もそれには答えがありません。ありませんが、いずれにしても、言えないということ、言わないということに対して、私たち日本人は自覚をしておりませんね。これが日本人なんです。教義、おそらく人を殺すなとか、ブディストの教義なんて言われても、多分答える人はそんなにたくさんいないと私は信じておりますが、きょう皆さんのこの席でもっといろいろ意見が出てくると思いますけれども、私や一般の日本人はそんものだろうというふうに思いますが、言えない。日本人は何なんだと考えたときに、考えることがなかったから余計にゆがんできたのかなと思い始めたわけであります。 じゃ、さっきも言いましたとおり、背骨に当たるものは何なのかということを考えなければ、ゆがみに気づかない。背骨に当たるものは何なのかということは、あまり私は思いをいたしてないんじゃないか。つまり、戦前、戦中の方々は、万世一系の天皇陛下だと、これを背骨の部分と言われるかもしれません。でもそれは、実を言うと今でもあるんです。今でも天皇陛下に対して、そこらのおじさん、おばさんと同じように思っている人は日本人の中ではいないと思います。やはり天皇陛下は天皇陛下でありますし、そのことを否定する人はだれもいないと思いますし、また、今日本の背骨と言われて考えられるものは何なんでしょう。今私はこの席につくまで、こんなことをまじめに大まじめに考えたことはありませんでしたけれども、そこでたまたまきょうは私の先輩といいますか仲間が、きのう、1週間ほど前にちょうど送ってくれた、こんな本があるんです。『日本人としてはこれだけは知っておきたいこと』これは京都大学の教授で、中西輝政先生というのはご存じないですか。書かれたこの本なんです。PHP新書から出ています。もしよかったら買ってあげてください。この本なんかに詳しくそういうことが、私が考えていることと全く同じことをこの先生も考えていらっしゃるようでありますが、中西先生がこの本で書かれていること、これは事実かどうかは私はわかりません。この本を見て初めて知ったんですけれども、先輩方はどうなんですかね。私たちが小学校のときには、社会科というのがありました。歴史は社会科の中でしか教わっておりません。お嬢ちゃんは小学校かな。小学校で、今は社会科やな。日本史はないでしょう。先輩の方々の中には、歴史という科目があるんですかね。この本に書いてあるのは、そのことが書いてあるわけです。歴史というのは、きちっとした一つの科目である。日本ではなく、海外へ行きましたら、アメリカしかり、ヨーロッパしかり、歴史科というのが必ず義務教育の中にあって、これは社会科ではない。事実、私もそうですけれども、私は実は高校時代に日本史はとっておりません。法科ですから、文科系の勉強をしなきゃいかんのですけど、地理と世界史をとりました。選択しなかったら、日本史というのはどうなったか。はっきり言うと、ほとんど知りません。だって、中学校で終わるわけですから。中学校の日本史の知識、鎌倉時代の後に室町時代が来るぐらいのことは知っておりますけれども、その程度の認識でありまして、そんなものなんです。それがやっぱり、この国の日本人としてこれだけ知っておかなきゃいかんことの、一番問題になっているのかなという気が実を言うとしております。 私はこれらのことごとで、簡単に言いますけれども、日本の歴史教育の中で、問題についていろいろあるのは、皆さんがご存じというか、肌で感じていらっしゃると思いますが、ここで私が一番力説をしたい、言っていかれなきゃいかんということは、結局歴史を考えていくのは私たちであり、その中からゆがみがあったかどうかを感じるのは私たちなんです。何を言わんとしているかといいますと、日本人である以上、おまえはこういうことをしたらいかんよと教えられるかどうか、それに尽きるわけであります。日本人である以上、おまえ、この考え方はおかしいぞと言えるかどうか、それに尽きるんだろうと思うんです。 皆さんは、昨今の目を覆わんばかりの事件を見て、どう思われるでしょうか。実を言うと、最近読んだ本の中に大変なショックを受けた本がありまして、水谷修さん、夜回り先生はご存じですか。この先生は普通科の高校の先生だったそうですが、みずから志願をして、体が、腎臓かどこかが悪くて、腎臓がんか何かでもう余命幾ばくもないということで、自分の余生はこれから育っていくであろう子供たちの教育に全身をささげたいということで、自分からみずから志願して、定時制の高校に変わられるんだそうです。定時制の高校になってどうするか。夜に盛り場を徘回をして、そのかいわいでうろついている小学校、中学校、高校生を、補導じゃない、相談役になって、彼らを矯正しよう、できれば矯正したいという活動をずっと何十年も続けてこられた。そのときの体験記みたいなものも、夜回り先生シリーズで本に出ております。余命幾ばくもないと言っているから、あとはあまり何冊も出ないんだろうと思いますから、中に手をとって、ちょっと、立ち読みでも構いませんから、読んでください。 私がなぜそれにショックを受けたか。先生が頑張っていることにすごいなと思ったのではありません。あそこに出てくる子供たち、例えばドラッグでありますとか、あるいは風俗に手を染めている中学生、高校生、この子供たちがご多分に漏れずというか、大体の子供たちが家庭環境が悪いんです。10人おったら七、八人まで。みずから悪くなっていくやつも、中にはいないわけじゃないでしょうけれども、8人、9人まで。家庭環境が悪い。中には、親が競馬狂いでありましたり、家庭がもう非常にひどい状態であったとか、もっとひどいのになると、親が子にいたずらをしているんです。父親が娘にいたずらをしているとか、お兄さんが妹にいたずらをしている。はっきり言うと、もう聞きたくもないんです。鬼畜的な、言葉は悪いですけれども、犬畜生にも劣るような、人間じゃない。ショックを受けたのはそこから先なんです。よくよく考えてみたら、その子供たちは中学生、小学生、待てよ、私たちの世代なんですよ。35歳から45歳までの親がいる子供たちなんです。さっきも言いましたとおり、自分自身のイギリスでの経験を振り返ってみて何かおかしいなと思うのは、ゆがんでいるなと感じることのないまま来てしまった私たちの世代なのかなと。つまり、価値観はいろいろあっていいよと。好きなことをやっていいよ、夢は夢で頑張りなさいよと言われて育った世代でもあります。好きなことをやればいいよと。だけれども、それの反面、やっちゃいけないよということはあまり教わっていなかったような気もするんです。日本人というのはこうなんだ。日本だから、あるいは和歌山県人でもいいです。あるいは、我が何々県連でもいいんです。そのことをあまり教わってこなかったから、そういうゆがみが今、実を言うと出てきているんじゃないか。これが私はゆがみの本質であり、一番ここで言いたかったことです。特にきょうは、拝見するところ、子育てを一たん終えられたといいますか、卒業された方もいらっしゃるように思います。その方々にとってみては、もう今や自由な立場でものが言えると思いますし、また子供たちをもっと客観的に見れる、孫でありますから、見れるんではないかというふうに思っておりますので、ぜひそういうことをきょうは持ち帰って、この本を読んでいただければ、私もこれに補足する、これに勝るものはないと思いますけれども、考えていただきたいというふうに思います。 政治の側から歴史認識と言いましたが、私は幾つか問題になるようなことがあると思います。竹島の問題だとかあるいは中国の問題。この間も中国に行かせてもらいまして、これもわき道それますが、日本に対してこれだけあんた方は偉そうなことを、いろいろなことを言ってくれるんであれば、最も私たちが言いたいこと、あんた方の教育だと。中国の唐家?という外務大臣がいたんです。いたというか、今もう外務大臣はおおりになられてね。その方と、けんけんがくがくの議論をやりました。私はもう二度と中国に行けないんじゃないかというぐらい、ビザをもらえないんじゃないかというぐらい。多分私もブラックリストか何かに載ってしまっているんじゃないかなというぐらい、言いたいことをいっぱい言いました。あなたみたいな若い国会議員、四、五人で行きましたけれども、私と蓮舫さんという、台湾出身のグラビアアイドル出身の女性の方と、それから民主党のもう一人の人と、河野太郎君、河野洋平さんの息子さんというぐらいで行ったんですが、このときはもう徹底的に中国の教育はおかしいと。あなた方自身がおかしいんだと。反日教育をしまくっているあなた、それは、基本的にはあなた方の教育が悪いからこうなるんだと言って帰ってきたんでありますが、最近になって自分の言ったことを反省しております。それは何か。さっきも言いましたとおり、日本でこういう教育、教科書として歴史という教科がないんですから、日本もやっぱりおかしいです。向こうは向こうのアイデンティティーのままやるのは当たり前の話なんじゃないかと、こういうふうに、実を言うと反省をしておるんでありますが、そういうゆがみでございます。何をしなければいけないかというのは、私は一目瞭然だと思いますし、戦後、そういう意味で30年、40年、タブーとされてきたものを全く白紙にして考え直す時期にあるんだということから、これから我々は新しい歴史の考え方を積み上げていくとは言いません、考え方を白紙に戻した上で、タブーはないんだという気持ちで議論をするべき時代がきているんではなかろうか。それには、実を言うとマスコミが、あるいは、世論調査というのがありますから、マスコミが出す世論調査というものに、実を言うと阻まれるときがあります。皆さん、世論調査というのは、これほどわかりにくいものはありませんよ。わかりにくいというか、小泉総理を支持しますか、安倍総理を支持しますかという、これはまだわかりやすいんです。支持をするといったって、これも実を言うとわかりにくいんですけれどもね。だけれども、例えば非核三原則、今やっていますよね、非核三原則を堅持しますか、しませんかというと、これは当たり前。みんなしますというのが大半やと思います。非核三原則の議論をするべきだと思いますか、思いませんかというと、するべきか、するべきでないかといったらするべきでないといいんです。しかし、してもいいか、しても悪いかといったら、それはしてもいいなんです。つまり、世論調査ほど聞きたい……、何といいますか、聞かれ方によって答えが変わるものはありませんから、世論がこうなっているから、おれの考えていることは少数派と違うかななんていうことを思っていると、物は言えなくなります。何が言いたいかわかりますね。皆さん自身がやっぱりもう歴史のことに関して、それを積み上げていくのは我々国民だから、そのゆがみを正すのも我々なんだと感じ、これはお話をしとかなきゃいかんということを先に申し上げましたが、非核三原則、政治の場で非核三原則は今議論をするかしないかでえらい問題になっていますが、あんなもの議論するのは当たり前じゃないですか。私はゼロからしろって言ってるんです。これは昔から私は申し上げています。なぜか。議論するべきだとは言いません。して悪いか、していいかと言われたら、していいのに決まってるじゃないですか。日本なんですよ、ここは。なぜか。皆さん、歴史を知らなさ過ぎるということの一言なんです。それは、非核三原則なるものは、講和条約に明記されたわけでも、法律上明記されたものでもありません。憲法改正と同じでもありません。憲法改正は大きな仕事であります。非核三原則というのは、佐藤栄作首相が沖縄返還の交渉のときに、条件の一つとしてつくったものなんですから、勝手に一総理が表明をしたものなんですから。しかも、その非核三原則なるものは、ご存じとおり、「核を持たず、つくらず、持ち込ませず」なんでありますが、沖縄返還のときには、アメリカとの事前協議をなしに、核をアメリカから、アメリカからとはいわずよそからでもいいんですが、沖縄に持ってきてもいいですよという密約を交わしているという話まで、私はそれを信じていますが、あるんです。密約があるんです。その政権で、その沖縄返還したのは、皆さんご存じのとおり佐藤栄作さんですからね、佐藤栄作さんがその密約を交わしているその返す刀で非核三原則と言っているんです。佐藤ドクトリンとして。そんな原則を我々が絶対に守らなければいけない、これほどすばらしいものだと言えるものだろうか、まず一つはそう思いますし、我々は別に非核三原則が悪いと言っているんじゃありません。私は悪いと言っているんじゃありません。その議論をすることは何ら制約されるものではないというのが、一人の私は個人的には、きょう、多くの皆さんと意見が違うかもしれませんが、それは歴史認識の中でまた詳しくお話をしたいと思いますけれども、思っております。 靖国の問題等々、いろいろとお話をしたいことをありますが、ここでやり過ぎると、おまえ何しに来たんやってまた言われてしまいますから、あまり、この程度にしておきたいと思いますけれども、最後に、私は夜回り先生の話を実を言うと最後にさせてもらいたかったんですが、先にしてまいましたので、そのことから敷衍することをちょっと申し上げておきたいと思います。さっきも言いました、背骨がない、そしてそのことがないからゆがみが気づかない、ゆがみが気づかないからそれの直しようについても思いが至らないということなんですが、結論から申し上げて、その背骨というのを考えてこなかったっていうことが問題なんだっていうお話をしましたよね。日本人が日本人って何なんだということを親が考えてこなかった。でも、それはよき伝統でもあるかもしれない。考えてこなかったことが、いや、だめだったという。だから、我々日本人として、これからあり続けるために、親が子へ教えることが大事なんだ、そのことの典型的な例として、夜回り先生みたいな例があるんだ、私はそういうふうに申し上げてまいりました。典型的というか、反面教師で。反面教師みたいな話で、夜回り先生と子供たちの中には、私自身がそれを反省しなきゃいかん、私たちの世代が反省しなきゃいかんということなんですけど。じゃあ、親が子に何を教えるのかと。やっちゃいけないよっていうことを教えるのか、やってはならないことを教えるのか、これも一つなんです。しかし、私はそれだけでは足りない気がしてならない。これは、実を言うと、日本の今の教育の中で欠けてるものかもしれないなと思うこと。持ち上げるつもりはありませんが、それは宗教心なんです。IICの皆さんだったらもうおわかりだろうと思います。私、以前にもこの話は、ここへ寄せていただいたときにさせていただいた記憶が、実を言うとあるんですが、やってはならないことをやらなきゃいいんだな。そうするとどうなるか。ルールさえ守ってりゃいいんだなになるんですよ。わかります? やってはならないことを、子供に対してやっちゃいかんよということだけ言ってれば、その子供は、別に親から言われたやっちゃいけないこと以外のことやったらやってもいいんだなっていうことになっちゃう。そうではないんですね、やっぱり一番教えなきゃいかんのは、恐れ。目に見えないものに対する恐れみたいなものじゃないか。それはある意味宗教心だろう、人知を超えた何かみたいなものを教えていかなきゃいかん。それがやっぱり、この日本にだけではありませんが、日本人の一番の精神文化の背骨ではなかったのかなというふうな気がしてなりません。 アメリカ人が日本の歴史教育を徹底的に破壊しようとしたその理由はそこにあります。これは、詳しくはこの本に書いてますけど、神風特攻隊といって、自己犠牲にあれだけあふれる日本人は、徹底的にその精神をたたいておかなければまた向かってきてしまう。だから、民主化と何とかの中で教育、その中で精神性をつぶそうと、これは意図的にしてこられた部分はあったようであります。これを、丸ごとこの本ばっかり丸ごとうのみにするわけじゃありませんが、私、自分自身を振り返ってみてそうですもん。宗教教育してくれたことありませんからね。さっきのイギリスの留学の話じゃありませんが。そこのところは、ぜひ私はIICの皆さんには特にこれからも気を振るっていただいて、また私でよければ、できることがあれば微力の限りを尽くしたい。きょうは、ちょっと最後はよいしょだったかもしれませんけれども、そんな思いでございます。 ちょっと時間を過ぎてしまいましたので、一たんここで閉じさせていただき、また時間の許す限り、皆さんとご懇談いただければなというふうに思います。ご清聴どうもありがとうございました。 |